「やさしいことをふかく」…「組曲虐殺」より
- 内山典子
- 2019年10月19日
- 読了時間: 6分
井上ひさしがすごいのは、昔から知っていた。
「闇に咲く花」だったかな? 高校生のころ、親に連れられて、初めて見た井上作品。
内容はもう思い出せないのだけど、すごく心が揺さぶられたのを覚えている。
「この人は本物だ!」と、若い感性なりに強く感じた。
それ以来、こまつ座の作品のポスターを紀伊國屋のサザンシアターで見かけると、
じーっと眺めるのが常だったけど、なんとなく見ずじまいだった。
そんな私が、何十年かぶりに見た、井上戯曲「組曲虐殺」。
彼の遺作だ。
見ようと思ったきっかけは、ズバリ、主演の井上芳雄くんです。
今やアラフォーの井上くんに「くん」づけはおかしいけれど、
私にとっては、彼は、いつまでも「井上くん」だ。
20年ほど前、彼がまだ現役芸大生の時、東宝の「エリザべート」の皇太子役で鮮烈にデビューを果たしたころから、ずっとフォローしているので。
長いこと「ミュジージカル界のプリンス」の名を欲しいままにしていた井上くん。
でも、彼はその「王子さま臭」ゆえに、キャリアをどう重ねていくか、悩みもあったのでは?と勝手に推察している。
最初のころは、歌唱力こそ抜群だったけど、演技は順風満帆とは言えなかったと思う。
だから、私の中で、井上芳雄くんと井上ひさしのマッチングは、かなり意外。
井上くんがストレートプレイに果敢にチャレンジして、力量を磨いているのは知っていたけれど。あの井上ひさしの作品で、小林多喜二役を??
数年前に初演されて、何度か再演されてるのも知ってたけど、見に行ってなかった。
なんとなく、井上芳雄くんの真骨頂は、東宝の「モーツァルト!」や「エリザベート」だという思い込みがあったから。
でも、なんでかな?今回、ふと見たくなったのよね。
「組曲虐殺」。小林多喜二のことも「蟹工船」の作者という程度の知識しかなかったのだけど。

プロレタリア作家、小林多喜二の人生後半を描いた作品。
音楽劇で、シンプルなピアノ1台の演奏とともに、ところどころ、歌唱が挿入される。
基本はせりふ中心のストレートプレイなのだけど、
ここぞというシーンで、歌が感情を紡ぎだす。
あらすじは、あえて細かく書かないけれど、
特高に追われ、潜伏生活を送る多喜二と、特高の刑事2名、そして運命の恋人と言われるタキ、同志でのちに妻となるふじ子、多喜二の姉のチマ、の6人のみが登場する。
観客はエンディングを知っている。
多喜二が、最後は特高にとらわれ、拷問によって非業の死をとげることを。
そこへ向かって、舞台には、つねに緊張感が漂っているのだけれど、そこは井上ひさし。
ほんわかとした空気と、ドタバタした喜劇の味、人間の営みへのしみじみした愛のまなざし、そんなものがまぶされて、楽しく、時に心震わされながら、最後まで見届けることになる。
見終わった感想は、ここ1年で見た舞台で、1番だったと言えるかも。
私は、舞台ファンを名乗れるほどには見ていないのだけど、年に5,6本、見てるかな。
なんだろう、1幕を見ているうちは、平常心で
「うん、やっぱり井上ひさしは、手慣れていてうまいなぁ」なんて見ていた。
追われる生活ながら、ユーモアたっぷりで、客席からは笑いが起こる。
鋼の心をもった共産主義作家、多喜二なのだけど、優しくて、お茶目で、チャーミング。
潜伏生活ながらも、市井の人として、日常を生きている様子が描かれる。
それが、2幕目になると、ぐいぐい引き込まれる。
そして、クライマックス。変装した多喜二が出かけたパーラーで、とうとう特高に追いつめられるシーン。
そこで、「やられた~~」とメロメロにされる。
特高と対決。とうとう逮捕。そのシーンをこんな風に美しく、切なく、温かく描くなんて。
人物が走馬灯のように、スローモーションでおしくらまんじゅうする中、
多喜二が歌う。
「カタカタまわる 胸の映写機 ひとの景色を 写しだす たとえば 一杯機嫌の さくらのはるを パラソルゆれる 海辺のなつを 黄金の波の 稲田のあきを 布団も凍る 吹雪のふゆを ひとのいのちが あるかぎり カタカタまわる 胸の映写機 カタカタカタ カタカタカタ カタカタカタ」
人生を愛おしむように、微笑みながら、涙を浮かべながら。
面白うて、やがて悲しき・・・・
涙があふれてあふれて、止まらなかった。
どうしてこんなに、人の心の奥底に触れるものを作れるのだろう?
これが井上ひさしだなぁ。
頬を涙が伝うのを感じながら、高校時代に感じた胸の熱さを、「ああこれだ」と
再び味わっていた。
多喜二の悲惨な最後は、演出で一切描かれず、後日談として姉とタキ、特高によって語られる。
あの、優しく、温かく、お茶目な男は、もういない・・・・
胸がしめつけられながらも、「人間」に対する温かな希望を感じさせて終わる。
劇中で、多喜二が語っていた。(まったくのうろ覚えですが)
「頭や手先でものを書こうとしても、たいしたものにならない。
からだ全部で書くのです。
カタカタカタ ぼくの胸の映写機に忘れられない光景が映し出される。
ぼくは、それを書くのです。
ぼくは、その光景を裏切ることができない。」
作家である多喜二に、井上ひさしが言わしめたせりふなのだと思う。
ああ、そうか。
映写機は、目についているのではないのだな。
胸の中にあるんだ。
体を通して、胸がふるえたことを描き出すのだな。
単なるシーンの表面ではなくて。
それは、イタコのようなものかもしれないし、
羽をむしって機を織る、つるの恩返しみたいなものかもしれない。

売店で思わず買っちゃった!
井上語録のクリアファイル。
むずかしいことを やさしく
やさしいことを ふかく
ふかいことを おもしろく
うーん・・・まさにそのものだった「組曲虐殺」。
私も、そんな風でありたい!
最後に。見に行くきっかけとなった、井上芳雄くん。
私の杞憂を超えて、見事に多喜二だった。
井上くんをそぎ落としてもそぎ落としても、残る本質。
それは、どうにもならない「育ちの良さ」だと私は思う。
いいおうちのお坊ちゃま、というような表面ではなくて。
彼の内面の育ちのよさは、どの役をやっても消えることがない。
だから、井上くんの多喜二は、ヒューマニズムあふれ、凛として品がよく、憎めない愛嬌がある・・・そんな人物だった。
井上くんは「努力の人」だと私は思っている。
もちろん、あふれる才能、めぐまれた容姿の持ち主だけど。
20年前、ミュージカルの王子様役なら素でやれた、それだけの男の子から、ずっとずっと深みのある役者さんになったなぁと。
それは、彼が自分の限界に挑戦して、努力し続けられる人だから、なのだと思う。
トークでは、ちょっと調子よかったり、ブラックだったりするけれど、
彼の本質は、役者としての真摯な成長ぶりに表れていると思う。
どっから目線?!っていう、勝手な感想だけれども。
井上ひさし、井上芳雄、ふたりの井上さんに乾杯!!
再演されたら、もう一度見に行きたいぞ!
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